2012年12月12日

擦り替えられた県議会での現県立美術館の文化的価値の議論

 平成22年(2010年)2月の県議会において、当初、現県立美術館の文化的価値や移転新築の是非が議論されたが、いつのまにか、中通一丁目地区市街地再開発事業の事業主体である再開発組合に、組合員にもなっているゼネコンからの2億円以上の借入金があり、再開発事業の建築工事などを行う「特定業務代行者」の選考にあたって、応募したのがこのゼネコン1社だけだったことへの疑念、不透明さに議論が擦り変わり、県議会は会期延長にまでなった。
 結局、ゼネコンからの借入金や特定業務代行者選定に問題がない。秋田市中通一丁目地区の再開発事業全体に問題はない。従って新県立美術館の取得負担金を含む予算案は問題ないという論理の議論に擦り替えられ、予算案が可決されたのが経緯である。

 現県立美術館(平野政吉美術館)の文化的価値、移転新築の是非の議論はいつのまにか巧妙に消し去られ、その文化的価値を深く認識されることがないまま、会期が終わったのである。
 この時の県議会学術教育公安委員会に「県立美術館の移転・新築計画の見直し」を求める請願が1万6239名にのぼる署名を付して提出され、継続審査の扱いになったはずだが、市民、県民の願いそのものと言えるこの請願は、新県立美術館の取得負担金を含む予算案の可決に伴い、消し去られてしまったようだ。

 また、この時の県議会で県知事は、現県立美術館について「文化施設など美術館以外の再活用も可能だ」と述べている。何故、従来通りの美術館としては使用ができず、他の文化施設なら使用可能なのか、明確な理由が不明である。

 また、県議会において、現県立美術館の文化的価値について、「現県立美術館(平野政吉美術館)をいつ誰が『シンボル』と定義したのか。『秋田市景観マップ』にも選ばれていない」などと、まるで県民に噛み付くような到底質問とは思われない質問、利権業者を擁護するような質問をした議員がいたが、この議員には、秋田の文化の「シンボル」でないと誰が言い、たまたま景観マップに入っていないからと言って、秋田市民や県民に愛されていないと誰が言えるのか、逆に問いたいものである。(注、「秋田市景観マップ」には現県立美術館(平野政吉美術館)を含む「千秋公園周辺」が選ばれていることが判っている)
 ある秋田市民は「お堀に浮かぶハス越しに見える美術館は、それ自体が秋田の文化の象徴」(2010年2月22日、秋田魁新報)と語っている。

 県議会において、結局、現県立美術館(平野政吉美術館)の文化的価値についての深い検討や心のこもった真摯な議論はされることはなかった。
 「(再開発事業を)延ばすことは致しかねる」「待ったなしだ」「政治判断だ」という県知事の独善的と言える強硬な意向だけが最優先され、現県立美術館の価値について深く理解されることもないまま、新県立美術館の取得費を含む予算案が可決されたというのが真相である。

 秋田県民は、現県立美術館(平野政吉美術館)の文化的価値について、深く理解し、認識すべきである。
 現県立美術館(平野政吉美術館)は藤田嗣治と平野政吉の永い親交の歴史を示す「証」であり、正倉院を模して造られた高床式のつくり、双曲線を描いた日本宮殿流れ式の屋根などに二人の理念、構想が生かされ、建てられている。
 また、藤田嗣治(レオナール・フジタ)最後の作品であるフランス、ランスにある「平和の聖母礼拝堂」と同じ自然光を採り入れた採光形式や、床から6尺(約1.8メートル)の位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けられた大壁画「秋田の行事」の展示方法は藤田の助言によるものであり、藤田嗣治(レオナール・フジタ)と関わりの深い世界でも稀な美術館である。
 また、この美術館の展示室で「秋田の行事」など藤田の作品を観ると藤田が描いた時代の空気感、息遣い、匂い、音までも甦ってくるとの声が聞かれる。
 藤田嗣治作品、平野政吉コレクションと一体であるこの現県立美術館(平野政吉美術館)を失うようなことがあれば、秋田県と秋田県民にとって大きな損失であり、後世の秋田県民、国内外の藤田嗣治ファン、美術愛好家たちから強く非難を受けることが予想される。
 この美術館を恒久的に、保存、使用し、後世に伝えることを考えるべきである。



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提言:新秋田県立美術館は、収蔵作品を持たない企画展に特化した美術館にすべきである。
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2012年12月7日

県立美術館の移転に関する知事発言

 現秋田県知事は、県議会、記者会見など公の場で、数々の理解しがたい発言をしているが、県立美術館の移転に関して、平成22年2月の県議会当時に、次のような発言をしていた。
 まず、平成22年2月1日の記者会見にて、現県立美術館について「私の文化的価値基準は100年以上の建築物。それより短いものは好みの問題」(2010年2月2日、秋田魁新報)、「(私の基準は)極めて単純明快です」(県ウェブサイト)と言い放った。これには、現県立美術館の文化的価値を訴える人など、多くの県民が非難し、地元紙のコラムを書いている脚本家も「暴論であり、不遜である。少なくとも行政の長が公言すべきことではない。それも『極めて単純明快』などと自慢気な様子なのだから、何とも幼稚である」(2010年2月21日、秋田魁新報)と述べ激しく批判した。
 このような独善的な考え方をする知事では、県議会において、心ある議論を期待することは無意味であったのかも知れない。
 次に、平成22年2月8日の記者会見にて、建設予定の新県立美術館について「作品で人を呼び込める根拠はない」(2010年2月9日、秋田魁新報)と堂々と発言していた。それなら、何故、移転しなければならなかったのか。県では当初から、藤田嗣治作品によって賑わいに繋げるための移転と言っていたはずだ。根拠のないことに県費を使ってよいのかと言う話になる。
 また、ソフトを充実させると言っていたが、その論でいくと街の賑わいのために継続的に絶えず県費を投入し続けなければならないことになる。
 集客力のある、市民のニーズのある施設を建てることが、最も効果的な土地利用方法であったはずだ。
 さらに、本会議にて県立美術館の移転新築の反対者をどう説得するのかという質問に対して「十分な説明は必要だが、確信的な反対を賛成に変えることはできない」(2010年2月23日、秋田魁新報)と堂々と答弁していた。この発言は、議論そのものが不要であると言っていると同じであり、議会も不要と言っているも同然である。議会は議論の場である。議論を積み重ね、一致点を見い出すのも政治の役割ではないか。県政の長として問題ある発言である。

 現秋田県知事は、その他の案件についても、理解しがたい数多くの発言をしているが、いずれもさほど重要視されないままなのは、それらの発言が思慮の浅い、軽い発想から出た言葉であることを多くの県民が見抜いているからかも知れない。しかし、秋田県の将来を考えれば重要な問題である。




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